第2回

 

連載 その人とモンブラン

第2回

橋爪大三郎(はしづめ・だいさぶろう)
1948年、神奈川県生まれ。社会学者。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。1995-2013年、東京工業大学教授。著書に『言語ゲームと社会理論』(勁草書房)、『はじめての構造主義』『ふしぎなキリスト教』(共著)『おどろきの中国』(共著)(以上、講談社現代新書)、『だれが決めたの? 社会の不思議』(朝日出版社)など多数。最新刊は大澤真幸氏との共著『ゆかいな仏教』(サンガ新書)。

 

ペン先を砥石で削った

ふり返れば、そのときどきで筆記具は変わってきました。まず、鉛筆。それから、シャープペンシル。大学では、万年筆を使いました。ノートに、速く書けるから。ボールペンより、シャープペンシルより、インクの万年筆はずっと速い。それでいろんなメーカーを試して、アメ横で売ってるヒーロー(中国製)に落ち着いた。安物だから、ペンチでペン先を曲げて、砥石で削るんです。すると自分流の角度になって、インクもどんどん出てきて書き心地がいい。速さも誰にも負けない。これを7年ぐらいやっていた。大学院ではゼミの資料を、ブループリント(青焼き)、つまり湿式コピーで用意するんです。原紙はトレーシングペーパーに書く。トレーシングペーパーは方眼なので、具合がわるい。そこで自分に合った、横書き原稿用紙ふうのマス目の下敷きを作った。友人にも好評で、コピーしてわけてあげた。そのうちタイトルにも凝って、大きめの文字にして、新聞の見出し活字を切り抜いてスクラップしておき、トレースした。足りない字は、部首を組み合わせて作った。そのあとワープロを使うようになって、原稿を手書きすることはまれになりました。そして今に至る、です。

内容もだが、体裁も大事

ひとに読んでもらうなら、読み手に負担をかけてはいけないんです。たとえば、タイトルは大きく、きれいに、何について書いてあるのか、ひと目でわかるようにする。読むか読まないか、0.5秒で決められる。時間は貴重ですから、なんでも読むわけには行かない。これは読もうと思ってもらわないことには、どんな立派なことを書いてもむだです。内容さえよければいい、という書き手もいるでしょうが、体裁も大事だと私は思う。原稿の注文があったらまず、1ページの字数行数を教えてもらいますね。疑問を投げかけ、ページをめくると答えになっている、みたいなことも考える。勝手に写真や広告を入れられたり、字組みを返られたりすると、だから、困るんです。あと、漢字とかなの割合も、気にする。テーマや読者にもよるが、私の文はひらがなが多いです。あと、読点(「、」)も多い。読点を打つ場所も、息つぎになるように工夫している。「です」と「だ」も意識的に混用します。学校では「である体とです・ます体があって、どちらかに決めなさい」などと教えるけれど、実際の使われ方を注意してみると、混用することが多い。それが自然なんです。

書くなら読むな

なかなか文章が書けない、というひとがよくいます。なにか勘ちがいをしているんですね。まず。読んでいるあいだは絶対に書けない。書くなら、読むのをやめること。よくいるんですよ、資料なんか読んでばかりで、ちっとも手を動かさないのが。いくら読んでも、きりがない。本人は良心的に、書く準備をしているつもりなんですが、書くのを単に先のばしにしているだけなんです。それで結局、時間がなくなる。「読むのはやめだ、さあ書こう」と思わないといけない。ものを書けないひとの八割は、これじゃないかな。考え終わってから書こうとするのもだめ。考えると同時に、いやむしろ、考えるより前に、書かないといけない。話をしているとき、まず考えて、それから話そうなんて思ってないでしょう。思考とは、とっさの反応。瞬発力なんです。それを利用して書かないといけない。書くと脳が刺戟されて、書きたいなかみが出てくる。

もの書きの病気

ものを書こうとするといろんな病気にかかる。ひとつは、批評家になりました病。自分の書いたものをすぐ批評してしまう。ほめないで批判するから、筆が進まない。あと、自分の頭がいいところを見せようとものを書く病気もある。この病気は、読めばひと目でわかっちゃうから、誰もそんなもの読みたくないんですね。でもこの病気のひとは大勢いるから、仲間うちで、どっちが頭がいいのか競争を始めるんです。そんなこと気にしているうちはろくなものが書けない。じゃあ、そのての病気はどうすれば治せるか。批評する気持ちや、頭がいいと思ってもらいたいという気持ちよりも強く、書きたいことがあれば、自然に取っ払われます。ついでに、これでお金が稼げなくてもいいやとか、世間に評価されなくてもいいやとかいう気持ちになれれば、なおいいと思う。純粋にものを書くことができる。あと、いきなり大きいものを書こうとしてもうまくいかない。大きいものを書こうと思ったら、それを部分に分けて、少しずつつぎ足して完成させればいいんです。

大切なメッセージは手書きで

モンブランの万年筆と最初に出会ったのは、確かボストンだったと思います。手に持って、実際に使ってみて、品質のよさに驚きました。普段使いというより、ここぞという機会に使いたくなる万年筆だなと感じました。今、誰もがパソコンのキーボードで書くようになって、そのぶん、筆記具の役割は変化しています。万年筆は昔、働くもののツールだった。書類を書く勤め人も、原稿を書く作家も大勢いた。それがいま、パソコンが主流になったので、万年筆は特別なもの、大事な文字を書くための道具、憧れの対象みたいになっているんじゃないか。「わたしだけがあなただけに伝える大切なメッセージ」があって、それを書く道具になっているように感じます。アメリカでは、メールがこんなに盛んになっても、カードをたくさん売っていて、しょっちゅう送っている。もちろん手書きでメッセージを書きそえる。たぶん家族が、離れて別々に暮らしていることが多いのでしょう。そして、離れているひとを思う気持ちを、祈りのかたちにするんですね。日本でも昔は、似たようなカルチャーがあった。平安貴族はここぞというとき、筆跡もうるわしく、和歌を短冊に書いて思う相手に送ったりした。いまその役割は、メールやSNSになったけれど、特別なとき、心のこもったメッセージを送りたいときは、やっぱり手書きということになる。そんなとき、コンビニで買ったペンでもかまわないけれど、ちょっとよい万年筆を使ってみるのも気がきいているんじゃないかなあ。