第4回  河瀨直美(かわせ・なおみ)さん

 

連載 その人とモンブラン第4回  河瀨直美(かわせ・なおみ)さん

河瀨直美(かわせ・なおみ)

初の劇場映画『萌の朱雀』(97)でカンヌ国際映画祭カメラドール (新人監督賞)を史上最年少受賞し、鮮烈なデビューを果たす。『殯の森』(07)で同映画祭グランプリを受賞。『玄牝-げんぴん-』などドキュメンタリー作品も多数。昨年にはカンヌ国際映画祭で、日本人監督として初めて審査員を務めた。今年、祖母の故郷である鹿児島県奄美大島を舞台にした最新作『2つ目の窓』がカンヌ映画祭コンペティション部門に正式出品、好評を博す(7月26日土曜日より絶賛公開中)。秋には世界公開を控える。今年9月12~15日開催の「なら国際映画祭」ではエグゼクティブディレクターとして奔走中。公式サイト www.kawasenaomi.com 公式ツイッターアカウント @KawaseNAOMI

頭の中で編集してからメモ

ペンや万年筆を使うのは好きです。書道も含めると、手書きは多いほうだと思います。いつも小さい手帳を持ち歩いていて、そこに会議の概要をメモしたり、自分がやらなくていけない事などを書いたりしています。パソコンも使いますが、メモに書いたものを自分でパソコンにまとめる事はなく、メモはメモとしてそのままにしています。スケジュール帳もみんな手書きです。小さめの手帳が多く、少し前は手の平サイズの物を使っていました。使うメモ帳のブランドはその時々で色々と変わります。無印良品の物だったり、中が方眼になっているRHODIAの製品だったり。今はスケジュール帳もメモ帳もモレスキンの物で統一しています。それとは別に、新作『2つ目の窓』の舞台になっている奄美大島ゆかりの奄美手帳という物も使っています。この手帳には旧暦が載っていて、潮の満ち引きや満月の時期などが分かるのが良いんです。メモには頭に浮かんだ事をそのままダラダラと書き連ねるというわけではなく、頭の中で編集した言葉を書き留めています。もともとわたしは8mmフィルムでの映画制作からスタートしたのですが、8mmフィルムというのは撮影時間が3分しかありません。そのため、今これを撮ったら次はこれで…というように、構成を組み立てる事が習慣になっています。既に頭の中で瞬時に編集されたものを撮影しているので、わたしの映画は時間内に収めるため削ることはあっても、編集がほとんどいらないんです。普段もそれとよく似ていて、書いているセンテンスはその時点でもう編集済みの状態である程度完成されているんです。

映画のアイデアは大学ノートに

映画の制作の構想を練る場合は大学ノートを使います。そこに最初は映画のアイデアをあまり制御せず、ラフに書いていきます。ページを見開きで使って、端から端までを120分だとしたら、ここで何が起こって…といった感じで、中心と、大体の起承転結を書いていきます。そこから一つ一つを深めて書き込んでいきます。普段生活している時は漠然と頭の中で考えていますが、普段のメモと同じで文字に書く段階ではもう編集されているので、長さも含め、内容もその時点で大体出来ています。といっても、それは表現したいことやテーマが最初からある程度はっきり決まっている場合で、そこまで決まっていない場合はまた少し違ってきます。たとえば印象的な言葉だけが自分のなかにある時は、書くことでその意味を明確にしていくというやり方もあります。この言葉がどう繋がっていくのかとか、登場人物が他の人とどう関わっていくのかとか、書きながら固めていく場合もあります。脚本を書くのは大変でしょうとよく言われますが、実は書いている間ではなく書くまでの考えている期間が大変で、いざ書くと早いですね。『2つ目の窓』の脚本は4日間で書き上げました。実際に映画を撮ろうと思ってから脚本が出来るまでも半年くらいでしたね。脚本も、人によっては手書きのメモをパソコンで打ち直して完成させる人も勿論いらっしゃると思いますが、わたしは手書きで完成させます。この作品の場合、ノート1冊くらい使いました。書き上がったらそれを決まった一人のスタッフに渡し、台本に仕上げてもらいます。特定のスタッフである理由は、わたしの字を間違えずに読める人だからです(笑)。手書きのうえに勢いにまかせて書いているので、なかには読みづらい字も出て来ますが、彼女なら絶対に読み間違うことがなく、わたしの文字のクセを理解して正確に書き起こしてくれるんです。普段の作業には4色ペンを使っています。黒でベースの文章を書き、誰かに対しての締め切りなどの指示は赤、プライベートは緑、公式的スケジュール内容の時は青…といった感じで使い分けています。

小説のためにモンブランを購入

モンブランの万年筆は、10数年前に自分で購入しました。映画『萌の朱雀』の小説版を書くことになった時に買いました。小説もやはりパソコンではなく手書きで、原稿用紙の升目ひとつひとつを文字を埋めていきたいと思ったんです。原稿用紙は出版社に名入りの原稿用紙を作ってもらい、そこに書きました。沢山ある万年筆のなかでモンブランを選んだのはフィーリングですね。ちゃんとした万年質をそれまで持っていなかったのですが、万年筆を買うならモンブランかな、と思って。この黒い、男っぽいタイプを選んだのは、万年筆といって思い浮かべるイメージ通りだったからです。万年筆を買った時点ではまだ小説を書き始めていませんでしたが、この万年筆を見たら、自分は今から小説を書くんだな、という気持ちにすごくなれました。書けるような感じがしたというか…。おかげで、書きだせばスムーズに書くことができました。書くまではやはり色々考えて時間がかかってしまうのは今も変わりませんね。

小説のためにモンブランを購入

モンブランの万年筆は、10数年前に自分で購入しました。映画『萌の朱雀』の小説版を書くことになった時に買いました。小説もやはりパソコンではなく手書きで、原稿用紙の升目ひとつひとつを文字を埋めていきたいと思ったんです。原稿用紙は出版社に名入りの原稿用紙を作ってもらい、そこに書きました。沢山ある万年筆のなかでモンブランを選んだのはフィーリングですね。ちゃんとした万年質をそれまで持っていなかったのですが、万年筆を買うならモンブランかな、と思って。この黒い、男っぽいタイプを選んだのは、万年筆といって思い浮かべるイメージ通りだったからです。万年筆を買った時点ではまだ小説を書き始めていませんでしたが、この万年筆を見たら、自分は今から小説を書くんだな、という気持ちにすごくなれました。書けるような感じがしたというか…。おかげで、書きだせばスムーズに書くことができました。書くまではやはり色々考えて時間がかかってしまうのは今も変わりませんね。

手紙には季節の挨拶を

手紙も季節の言葉を取り入れた挨拶を書くのが好きです。季節を表す二十四節をさらに細かく分けた七十二候を取り入れたりします。たとえば夏至の季節には半夏生(はんげしょう)という時期がありますが、その言葉をさりげなく手紙の文に取り入れたりします。わたしはずっと故郷である奈良に住んでいて、そこに畑を持ち野菜を育てています。そのように自然を常に相手にしていることもあって、細かい季節に対する感覚は普段から敏感に感じて生きていたいと思っています。自然と共に暮らしていると、体だけでなく心の調子も良いんです。普段は22時に寝て5時に起きて畑に行っていますが、その生活が出来ていると元気でいられます。奈良にいる時はどんなに忙しくても必ず朝起きて畑に行き、草取りなどをするようにしています。今回も上京する前に畑の手入れをしてから来ました。でも夏だとどんどん野菜が育ってしまうので、毎日収穫しないと育ち過ぎちゃうんです。出張で奈良を留守にするのはそれがちょっと残念ですね。映画の公開時期はプロモーションなどで奈良にいないことが多く、生活サイクルが乱れてしまうので、出先でもヨガをしてコンディションを整えます。

決して作文が上手くはなかった

書くのが好きと言っていますが、決して小さい頃から作文を褒められていたわけではありません。わたしは真面目タイプで、学校から帰ったらすぐ宿題をするような子供だったんですが、特に作文を褒められた記憶はないですね(笑)。自分でも、心で思っていることが上手く表現できている感じはしませんでしたし。今振り返ると、想いに文章が追いついていなかったのかもしれませんね。自分の考えていることが書けているな、と思うようになったのはずいぶん後で、20代になってからです。その頃はもう既に映画監督として『萌の朱雀』なども発表していました。けれども、小さい頃から書いていたものは残してあり、日記とか手帳とかいっぱいあります。今それらを見ていると、9歳のときに「10歳のわたしへ」というタイトルで書いた物とかあるんですよね。その頃から時空を行ったり来たりする感じを文字でやっていたんですね。

バスケット選手から映画監督へ

わたしが映画監督になったのは本当に不思議な流れです。高校時代はずっとバスケットボールをやっていて、朝昼晩と練習漬けで、映画なんてまったく観ていませんでした。高校総体まで出るくらいだったので、バスケットボールの推薦で大学まで行こうと考えていました。でもふと、バスケットボールは肉体的に30代くらいでみんな現役を引退してしまうと思って、一生現役で続けられることは他にないかなと考えたんです。バスケットボールも同じなのですが、わたしは人と人が関係して、その中から何かを生み出すということが好きなんです。部活以外でも文化祭と体育祭が合体した一条祭という学園祭のようなもので応援団に入って応援合戦をしたり、パフォーマンスをしたりしていました。そうやって皆で出来ることで職業になることって何だろうと思ったときに、編集者とかテレビや映画の制作といった選択肢が生まれました。実はその時はまだ映画監督になりたいとはさほど思っておらず、環境デザイナーになりたかったんです。進路もそっちの方面の学校に決めていて、絵を学ぶ塾にも通いました。でも絵の先生と目指すものと合わなくて、塾を辞めてしまって。それで結局、テレビ制作を目指すつもりでメディアアートに入学しました。ところが入学してみると、そこはテレビより映画の制作がメインの学校で、そのままどっぷり映画の道に入って行きました。

女性監督の第一人者として

そのようにして映画監督の道を歩み始めましたが、女性の映画監督というのは今もですが当時はほとんどいなくて、同じような道を歩んでいて参考になるような先輩もいませんでした。ネットもない時代でしたから図書館で調べるくらいしか方法がなく、欲しい情報になかなかたどり着けませんでした。学校でも女の同級生はたった4人、他は全員男でした。その女性の同級生もみんな記録や編集を目指す子ばかりで、監督になりたい子はわたしだけでした。そんな環境でしたので、卒業してすぐ上京して東京で映画を作るという道もありましたが、わたしはむしろ東京には行かない方がいいなと考え、自分の居場所である奈良でまず形になるものを作ろうと思い、映画を作り始めました。奈良で映画を作ったらそれを持って夜行バスで上京し、この人、と思うプロデューサーに会いに行き、映画を託してまた夜行バスで帰る、という生活をずっとしていました。ビデオで送ってくれと言われても絶対に送らず、必ず自分で持って行って直接会って受け取ってもらうようにしていました。深夜バスで新宿に着いて、映画館の支配人に見てもらうためにまだ空いていない映画館の前に座って待っていたこともありました。渡しても「見ておきます」と言ってぜんぜん返事が来ない事も多々ありました。そんななか、わたしの作品を観てくれた方から、「特集上映をしましょう」と連絡が来て、『につつまれて』(1992)を上映することになりました。それが後に史上最年少でカンヌ映画祭のパルムドールを受賞することになる『萌の朱雀』(1997)の制作に繋がっていくんですが、その特集上映の時も、やはり来て欲しい人ひとりひとりに全部手書きで案内状を書きました。

手紙は文字に乗せて想いを送るもの

映画を作っているとどんなことでも、かけた時間って伝わるんだなと思います。手紙も同じで、これを書くのに時間をかけてくれているんだなということがとてもよく分かります。そしてその時間というのは気持ちなんだなぁって。畑仕事をやっているとそれはダイレクトに感じますね。気持ちの穏やかな時に種や苗を植えると、やっぱり育ちがいいんです。去年からお米も作っているんですけど、怒っている人が作るお米は本当に味が良くないんです。植物や果実なども月の満ち欠けに合わせて植えるとよく育つとも言われています。それもあって、旧暦でちゃんと自然のリズムに沿って自分も暮らしていきたいんです。全ての会いたい人に、本当は直接会って直接触れられるのが一番いいんですけれど、それが無理な場合に手紙があるんだと思います。もちろんメールでも感動する文章に出会えることはありますが、わたしはこれからも、なるべく手書きで気持ちを伝えていきたいと思っています。