渋谷 慶一郎さん 第4回:Making Decision

第4回:Making Decision

渋谷 慶一郎(しぶや・けいいちろう)

音楽家

1973年生まれ。東京芸術大学作曲科卒業。2002年に音楽レーベルATAKを設立。 以後、音楽レーベルとして国 内外の先鋭的な電子音響作品を数多くリリースする。 2015 年に入ってからの活躍は目ざましく、パリのパレ・ド・トーキョーでパリ・オペラ座のダンサーたちとのコラボレーションによる公演「THE WAY OF THE RABBIT」に唯一の音楽家として参加。7月にはソニークラシカルより「ATAK022 Live In Paris Keiichiro Shibuya」を発表。9月には完全アンプラグドのピアノソロ・コンサート「Playing Piano With No Speakers」を2日連続で開催、11月にはパリ・サブロンでのダンサー、コンテンポラリーアートとのコラボレーションによる公演も予定されている。 代表作に“ATAK000+”、“ATAK010 filmachine phonics”、ピアノソロ・アルバムとして“ATAK015 for maria”など。

「THE END」パリ公演の実現。創作への新たな意欲の高まり。

渋谷:「THE END」は山口のYCAMが初演で、次に東京のオーチャードホールで公演する前にパリのシャトレ座で上演することが決まっていました。僕はあまり自分から売り込んだりしないのですが、シャトレ座の支配人であるジャン=リュク・ショプランには情熱的にプレゼンして、彼はその場で即決してくれました。でも、日本側のプロジェクト予算は火の車だったので、パリ公演までたどり着けるか危うい時もありました。これは今となっては笑い話ですけど、シャトレ座で公演するなら上映用のスクリーンを作り直したいと思ったのですが、その予算がなかったので自分のパリ公演のギャラをスクリーン制作に当てたりもしました。でも、これは大事だったんです。シャトレ座の内装は絢爛豪華で、その19世紀的で重厚な幕が上がったらミニマルな3面スクリーンがピッシリと張り詰めてあって、というコントラストをきちんと表したかった。豪華な幕が上がって文化祭のように皺がよった貧相なスクリーンが現れたらそのあとなにをやっても無駄なんです。現代が歴史に負けてしまう。それは嫌だったんです。

2013年11月にパリ公演を行ったのですが、公演は3日間ともソールドアウトの大成功に終わって日本に帰国する日の昼間に、シャトレ座とミーティングを行いました。これから何をやろうとしてるんだ? と聞かれて、次の作品は一緒に作ろうと言われました。嬉しかったですね。「THE END」は作品性が高いものなので、だからこそ海外でも受け入れられました。より作品性の高いものをコンセプチュアルに作りたいという意欲が高まりまったし、そのときの関係が今も続いていることが素直に嬉しいです。

パリへの進出。二つの都市を行き来する生活。

渋谷:翌年の4月には杉本博司さんの大規模な展覧会が同じくパリのパレ・ド・トーキョーであって、杉本さんの新作インスタレーションの音楽を3つ作りました。また、杉本さんの劇場シリーズを映像化した新作に合わせて僕が作った曲のコンサートも行ったりもしました。その展覧会のオープニングでパレ・ド・トーキョー館長のジャン・ド・ロワジーに会いました。彼は「THE END」の公演を見ていて、パリに住まないのかと初対面の僕に聞いてきたんです。住みたいと思っていますと答えたら、では手配するから来なさいと言われて、PAVILLONというアーティスト・イン・レジデンスに推薦してくれてあっさりと住居が決まりました。同じ日にシャトレ座に打ち合わせに行って、パリに住むことになりましたと言ったらびっくりされました(笑)。で、以前からパリに来たときはシャトレ座で仕事をする場所を貸して欲しいと言っていて、それが来たらじゃなくて住むことになったので・・・と伝えたらそれはもう用意してあるよと別の部屋に連れて行かれたんです。シャトレ座は商業劇場なので、作曲家に部屋を提供する制度はないんです。フランス人の作曲家ですら部屋を貸してもらえることはないので異例のことでした。こうして1日のうちに、住む部屋と仕事をするスタジオが決まったので、これはもう住むしかないということになったんです。

それで昨年の6月からパリと東京を行き来する生活になりました。パリと東京では、時間の使い方が異なります。パリは朝が早い。東京では夜型なので、起きている時間は常に一緒、時差がありません(笑)。東京にいる時は、ひたすら仕事に追われてて、朝7時くらいまで仕事場にいます。取材や打ち合わせが毎日あるので、作曲を始めるのは20時くらいになってしまうので、そこから作曲に没頭して寝るような生活サイクル。パリでは逆に夜は1時くらいに寝て朝は早目に起きて劇場に行って仕事をしています。

異文化に触れて、気づいたこと。

今年の6月にはパレ・ド・トーキョーとパリ・オペラ座の合同のイベント「THE WAY OF THE RABBIT」に音楽家として参加しました。この二つの組織のコラボレーションは最近始まったことらしいのですが、パリではとても画期的なこととして受け止められています。パレ・ド・トーキョーはスタッフを含めて現代的な施設でオペラ座はとても伝統的。ただ、ベンジャミン・ミルビエが(彼はナタリー・ポートマンのパートナーとしても知られていますが)オペラ座のディレクターに就任したのをきっかけに保守的なオペラ座がどんどん開かれていっている。「THE WAY OF THE  RABBIT」では、オペラ座からダンサーと振付家がやって来て、美術をPAVILLONのアーティスト、僕が音楽を担当しました。オープンリハーサル含めてたった2日間の公演でしたが、面白い体験でした。

日本人同士でコラボレーションする場合は、文脈をお互い共有している人と組むことが多いですよね。これはアーティスト同士に限らずで、例えば人文系が好きな人なら、ジャック・デリダやジジェクやその弟子の本を読んでいたりして、ジョン・ケージや電子音楽を聴き、建築にも詳しかったりといった具合に。でも、パリの特に若いアーティストの間では状況は異なります。フランスで現代美術をやっている人が、現代音楽のことをまったく知らないというのもよくあることです。最初はびっくりしたんだけど、要するに「〜系」の人はあまりいないんですよね。

だから、現代音楽の文脈をパリの友達のアーティストたちに説明することもありますが、そこには何故今これをやっているのかという自己確認も入ってきますね。日本と違って文脈はあまり関係ないので、コンテンポラリーのダンサーでも、もっと身体が自然に動きだすようなビートが欲しいとか言ってきたりするのが新鮮でした。だから、住むようになってまだたった1年半ですが、街や文化とかいう抽象的なことよりも人にすごく魅力があります。彼らは個人で生きていますね。決断も早いし、常にハッピーかポジティブかを言葉で確認してくる。それは快適です。

第5回(最終回)につづく