佐々木俊尚さん 第1回:THE BEGINNING

佐々木俊尚さん 第1回:The Beginning

佐々木 俊尚(ささき・としなお)

作家・ジャーナリスト。

1961年兵庫県生まれ。愛知県立岡崎高校卒、早稲田大政経学部政治学科中退。 毎日新聞社、月刊アスキー編集部を経て2003年に独立し、IT・メディア分野を中心に取材・執筆している。「21世紀の自由論〜 『優しいリアリズム』の時代へ」「レイヤー化する世界」(いずれもNHK出版新書)「家めしこそ、最高のごちそうである。」(マガジンハウス)「キュレーションの時代」(ちくま新書)など著書多数。総務省情報通信白書編集委員。

 

仕事の主軸を自身でどう捉えているか

佐々木: 私の仕事の主軸は、テクノロジーと人間の接点を見¬つめ、テクノロジーによって人間がどう変わっていくか考えることだと、自分では認識しています。

よく「ITジャーナリストの佐々木さん」と呼ばれますが、どこかの会社が出すIT関連の新製品について解説したり見解を述べたりする、というより、技術の変化が人間のありようをどう変えていくか、といったことに、より深い関心を持っています。

例えば、テクノロジーが発達することでプライバシーが侵害されるのではないか、と心配する人もいると思いますが、コンピュータが集めた個人に関するデータを上手に本人にフィードバックできたら、不安は軽減するかもしれない。そもそもプライバシーに対する概念が、世代によってだいぶ違います。こうした点については、後ほど詳しくお話ししましょう。

 

 

キャリアのスタートは新聞記者だった

 

佐々木:最初の仕事は毎日新聞の記者でした。社会部に配属され、事件記者をやりました。ご存知の方もいるかと思いますが、事件記者の仕事は「サツ回り」つまり警察幹部の自宅を回って情報を集めることが基本です。

 私が入社した当時は、今ほどマスコミ批判が盛んではなく、メディア企業のビジネスモデルも今と比べれば安泰と思われていました。新聞記者は人気のある仕事でしたし、世間からの尊敬も今より高かった、と思います。

 それでも仕事はきつかったです。オウム真理教の事件が起きたりして、事件記者は文字通り寝る時間がないほど忙しい毎日でした。警察幹部の自宅が、例えば埼玉県飯能市といったような郊外にありますから、そこまで行って帰りを待つのです。夜中の0時、1時まで待っても会えない日だってあります。その後、都内の警視庁に戻ってから帰宅すると夜中の2時。明け方の5時には会社のハイヤーが迎えに来ますから、睡眠時間が3時間を切るのもざらでした。

 

ハードな日々だった新聞記者時代

 

佐々木:確かにそうかもしれません。実は、後にIT分野の仕事をするようになってからも、事件記者として取材の基礎を鍛えたことは、本当に役立ったと思っています。このお話も次回以降、しましょうか。

 もともと私は本が好きで、文章を書く仕事をしたくて新聞記者になったのです。当時、自分で書ける仕事は新聞記者しかなかったので。実際にやってみると、現場はインテリジェンスとは程遠い世界ではありました。先ほどお話したような夜回りと朝駆けを毎日やるわけです。社内で怒鳴り合いの喧嘩が始まることもよくありました。

 大変だったけれど、家族的で暖かい職場だったし、自分の居場所がここにある感じ、はありました。12年間の新聞記者生活を通じて9年間は警察でした。岐阜県、愛知県、警視庁…。事件記者の世界にどっぷり浸かっていたら、私自身が警察官に間違われたこともあるくらいです。

身体を壊した後、新興出版社に転職

 

佐々木:身体を壊したのです。その時のことは今でもよく覚えています。1998年、小渕内閣が誕生した時に、突然耳が聞こえなくなりました。自分では突発性難聴かと思っていたのですが、神経に腫瘍ができていることが分かり、3カ月、仕事を休みました。

 その後、仕事に復帰して、都内版の担当になりました。病気になる前は、ぴりぴりしている現場でコロシの取材をしていたのに、病気療養から戻った後は、平和な商店街の取材をしているというのは、自分の心の中ではかなり大きな変化でした。

 これからどうしようか、と考えて、迷って、四国にお遍路さんに行ってみたりしました。今のままでは不完全燃焼だけれど、事件記者の激務には、もう体がついていかないだろう。そう考えて、アスキーに転職することにしました。

長期的なキャリアを考え転職先を決めた

 

佐々木:外からはそう見えるかもしれませんが、私自身の中ではつながっていました。新聞社に復帰した後、遊軍として、ペルーの日本大使館人質事件や、エジプト・ルクソールでのテロ事件などを取材していたのです。

 ちょうどWindows95が出て、パソコンが普及してきたことで、インターネットを利用した犯罪が社会的な注目を集めていました。事件記者としての取材経験と、テクノロジーへの関心を組み合わせると、他人に負けないような自分の強み、専門分野を作れると思ったのです。

 長期的なキャリアというものも、ぼんやりと考えていました。新聞記者時代から、漠然とフリーになろうとは思っていました。ただ、新聞社は社員記者に書かせますから、独立しても、もとの会社から仕事はそれほどこないだろう、と推測しました。一方、出版社はたくさん雑誌を出しており、雑誌は編集者が社員、ライターがフリーということが多いことも知っていました。ならば、一度、出版社に転職して、フリーになる足がかりを作れるかな、と思ったのです。

 

第2回につづく