佐々木俊尚さん 第2回:Leaving the Comfort Zone

第2回:Leaving the Comfort Zone

佐々木 俊尚(ささき・としなお)

作家・ジャーナリスト。

1961年兵庫県生まれ。愛知県立岡崎高校卒、早稲田大政経学部政治学科中退。 毎日新聞社、月刊アスキー編集部を経て2003年に独立し、IT・メディア分野を中心に取材・執筆している。「21世紀の自由論〜 『優しいリアリズム』の時代へ」「レイヤー化する世界」(いずれもNHK出版新書)「家めしこそ、最高のごちそうである。」(マガジンハウス)「キュレーションの時代」(ちくま新書)など著書多数。総務省情報通信白書編集委員。

決断は簡単ではなかった

新聞社を辞める、という決断は、簡単ではありませんでした。身体の方は前回お話したように、体調を崩してしばらく仕事を休むくらい、参っていた。朝から晩まで、いえ、朝から翌朝まで警察幹部を追いかける仕事は、もう自分には無理だということは、よく分かっていました。

 でも、ハードな殺しの現場から、のんびりした都内版の仕事は、あまりにギャップが大きかったのです。自分は何をしたらいいのか、迷って、これも前回お話したように四国にお遍路さんに行ったほどです。

 このまま新聞社で商店街の取材をするのは、自分には合わない…これはよく分かっていましたが、辞める決心も、なかなかつきませんでした。仕事の内容ではなく、新聞社の家族的な雰囲気に離れがたいものを感じたのです。記者たちが集まり長時間一緒に過ごす空間、怒鳴り声が響く空間は、物書きに憧れて入った青年の描いた知的な雰囲気とはほど遠かったけれど、熱くて密な人間関係がありました。

家族的な新聞社、個人的な雑誌社

後に独立して仕事をするようになる時と比べても、新聞社を辞めた時は、快適な空間から出る、という意味で大きな決断を要したと思います。

アスキーに転職した時は、編集部が静まり返っていたことに驚きました。私は雑誌のデスク(副編集長)として入社したのですが、新聞のデスクとは全然雰囲気が違いました。もちろん、誰も怒鳴りませんし、パソコンに向き合って淡々と仕事を進めている。

新聞と雑誌は、同じメディア業界でも仕事の進め方が大きく違います。新聞は家族的、雑誌は個人商店の集まりという感じですね。

転職で仕事の幅が広がった

アスキーでは本当に色々な仕事をしました。パソコンの選び方やブロードバンド導入の方法といったノウハウ記事も作りました。雑誌の作り方、編集の仕方、仕事を外注する方法など、新聞記者時代と比べると仕事の幅は格段に広がったと思います。

 当時のアスキーが良かったのは、とても自由な雰囲気があったことです。好きなことができましたから「雑誌づくり」に加えて、ルポ記事も書けました。

 特に力を入れたのは、ネット犯罪の取材です。新聞記者時代に培った警察人脈を生かした事件取材と、IT雑誌で学んだテクノロジーに関する知識の両方を生かすことができました。これは、自分にしかできない仕事! という充実感、満足感を持ちながら取材・執筆ができました。

キャリアはつながっている

テクノロジー犯罪の取材で、特に心に残っているものがあります。ひとつは、迷惑メールの帝王。銀座のとあるビルにサーバを置いて、迷惑メールを出しまくっている人物がいました。この人に直接会いに行きました。もうひとつ、印象に残っているのはファイル交換ソフトWinnyの裁判です。開発者が著作権侵害を幇助した疑いで起訴され、私は京都地方裁判所に通いつめて裁判を傍聴しました。この取材を通じて、裁判がどういうものか理解しました。

IT技術という点では、私より詳しいライターさんはいると思います。でも当事者に会いに行ったり、裁判を実際に見に行ったりする人は、そうそういません。とにかく現場に足を運ぶという、事件記者時代に身に着けた動作が役に立ったと思います。

 また、新聞社を辞めて気づいたのですが、新聞記者は原稿を書くのがとても速いのです。これは、その後、独立してフリーのジャーナリストとして、たくさんの雑誌に執筆するようになった際、とても役に立ったスキルです。新聞記者時代は大変なこともありましたが、取材して書く能力をきちんと身に着けたことは、転職、独立で仕事のフィールドを変えていく中で、拠りどころになりました。そういう意味で、キャリアはずっとつながっているのです。

熱中し、振り切れるまで没頭する

新聞社を辞めた後の出来事で、心に残っていることがあります。1999年6月に起きた、茨城県東海村のJCO臨界事故(原子力事故)です。第一報を聞いた時、現場に飛んでいきそうになりました。事件記者の反応が体にしみついていたんです。次の瞬間、そうか、行かなくていいんだ、と思ったら「自分はここで何をやっているのだろう」と何とも虚しいいう気持ちになりました。

 それくらい、事件記者の仕事に没頭していた、ということです。振り返ってみると、これは私の特徴のひとつかもしれません。他のことは忘れるくらい、目の前のことにのめり込む。その後、振り切れて、次の方向を模索する。

実を言うと、後に専門分野になるテクノロジーの世界に深く関わったのは、学生時代のことでした。以前は登山に熱中していて、明けても暮れても山登りをしていたのです。それがある日、凧の糸が切れたみたいに落ち着いて、やることがなくなりました。そういう時期に当時、マニアの間で始まっていたパソコン通信をやってみたのです。

 没頭していたことから離れる時は、寂しさや不安を感じます。でも、日夜取り組んできたことで得られるものは、確実にある。登山とテクノロジーへの関心、事件記者の経験とIT知識の融合…。ある時期に体得したことを活かしながら、次のフィールドで、自分にしかできない仕事を目指してきた、と思います。

第3回につづく